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ビジェナってどんな所?

【プロローグ】

ビジェナは、もっとも象徴的なアラブの古城のある古い町である。その要塞のふもとに核となる市民が、その周りにも農民が住んでいた。レコンキスタの後、名高い家系のManuel, Aragón Pachecoが居て、長年の間、国内の歴史に影響を与えた広大な侯爵領の主要地であった。

 

辺境の村は、レバンテ地方と台地の間の入り口である。町全体にある厳格で優雅な聖堂と古城の何百年も前の石々は、この地に発展をもたらし、古い伝統と融合した新しい建築の大胆さを否定しない。


この町は、訪れる者を両手を広げて受け入れる。心温かく友好的な人々が住み、村を探求したがる訪問者を歓迎する。

  

【人口】

前世紀の中頃より、特にここ数年は、第1次産業の工場の設置が、人手の移住を防ぎ、人口は増加している。

ビジェナの人口は1991年の国勢調査によると、31,232人で、うち男性15,355人、女性15,877人であった。60年から70年の間、靴製業のブームで、スペインのほかの地方、特にCastilla La ManchaAndaluciaからの移住者が多くあった。

人口密度は、90/K屬任△襦


【気候と気温】
ビジェナの気温の変動は-から35、冬の平均気温は6、夏7〜8月は24である。11月から4月までの秋から春の間は凍日々の気温の変化が大きく、たびたび凍結する。この時期と、5月から10月までの違いは大きい。

【旧市街】

現在のビジェナは、城に起源があり、周辺にアラブの村が発展した。 

これは、現在のSanta María教会、レコンキスタの後にクリスチャンにより浄化されたの古いメスキータ周辺まで拡張した。ある意味では、その消えたメスキータはアラブの村の市民の中心であるべきだった。

 

アラブの町外れには城壁がなかった。

文献によると、一度、15世紀の半ばクリスチャンに支配されてた。

16世紀の間、城のそばにある城壁は歴代の修復の対象であった。

クリスチャンの町は、おおよそ現在のSntiago教会の辺りにあり、最初の村はずれの同様アラブ人が残っていた。 

16世紀から17世紀にかけて、住民は2つの教会の修復と拡張を試み、街は発展した。ビジェナの山脈のふもとには、本当の中心とMayor通りのある一番平坦な地帯にある街との間に、傾斜の急な道や不規則な街のブロックがある。18世紀の終わりには、城壁のない街は、農地まで延びたSax, Yecla, Caudete La Mesetaの道に基づき、自然と西に向かって、町を成長させた。MadridAlicante間の鉄道の敷設は、19世紀半ばに、今日も発展をつづける南北への成長を義務づけられた自由の開放の条件であった。  Villena18世紀の町のイメージは、支配された切立った丘と城の塔から伸びた集落である。旧市街の家々の間には3つの塔が突き出ている。 Santa María Santiago2つの教会とEdad Media el Cabildo Municipal にある"Torre del Orejón"と呼ばれる塔である。現在、城の一番高い塔からのぞむその姿は、旧市街の外に立てられた新しい建築物が障害になってゆがめられて、その高さで町の基準である境界石の良い部をも隠している。


Igresia de Santiago(Plaza Santiagoから)


Igresia de Santiago(Plaza Santiagoから)


【Palacio Municipal】

Palacio Municipalは16世紀初頭、Catragena教会の財務官であったD.Pedro de Medinaの財政的保護のもと建てられました。建設の由来は、Templode Santiago(大修道院)の受益者の滞在のためでした。1576年、教会の聖堂参次会により手放され、同年619日市会は、現在でも使用されている会議場として割り当てるために譲り受けました。

Palacioは、ルネッサンス様式に基づき、特にファサード、広場に面する2つの窓、パティオの二重回廊は重要である。正面には市の盾形紋章、続いて柱脚の上のドリス様式の柱と三角のペディメント飾られている。

建物の内部は、トスカーナ様式の柱の上に支持する斜角アーチのある2階建て回廊のパティオが際立つ。3つのうちの1つの階段は2階への通路。3階は石彫刻の欄干で閉ざされている。この階に会議ホールがあり、天井のフレスコ画を見ることが出きる。このスペースには市の歴史的人物の肖像画が飾られている。


Palacio Municipalは、400年以上の歴史の中で形成されたさまざまな建築の干渉の結果です。1707年分離戦争の間、北の翼壁が壊滅し、 CosmeCarrerasに再建の依頼をした。左正面の窓にまぎれもないバロックの様式を残した。

最後の再建は、今世紀中ごろの、ファザードの拡張と最下のパティオの復元であった。

1968521日文化財として認められた。





【LA ALATAYA城】

11世紀にアラブ人によって建てられ、1931年に文化財に指定された。

円塔と外側にある4つの多角形の噴水により超えられることの無かった壕の2つの柵からなる。栄光の塔は、3メートルの厚さの壁をもつ四角い4つの塔で、最初の2つは積彫石で、最上の2つは粗石積み造りで、この2塔は15世紀半ばにD. Juan PachecoVillenaの第2の侯爵によって建てられた。

最初の2つの天井は浮き上げ装飾を施した交錯したアーチの丸天井である。スペインで最も古い様式である隣のBiar城のごとく例外的な重要性がある。最上部の装飾にはポルトガル-カステジャノ様式の塔が突き出ている。

Atalaya城は、バレンシアのヘルマニーアスの反乱の間の Carlos Iの時代、ブルボン家が王位に就いた時の継承戦争や、19世紀に入りフランスからの独立戦争などさまざまな戦いの舞台となった。

城へと続く住居やBARが立ち並ぶ石畳の階段の坂道。実は斜めに傾いて浅いので歩きにくい。 坂を登りきったら小道にぶつかる 更に上に続く道を探す 坂を見下ろしたところ

歩きながら出会う町並み




町の一角から見える城。 下から上り始めて15〜20分で城にたどり着ける。

城の入り口

城からの眺め

開館時間 : 火〜金     10:30〜,11:30〜,12:30〜
         土日祝日    11:00〜,12:00〜,13:00〜
         月曜休館 ガイドつき 


【SANTA MARIA教会】

6世紀に、昔のイスラムのメスキータの上に建てられ、El Rabal教会に変わった。

ただひとつの身廊を持つ。多角形の聖所には周歩廊がなく、丸天井は交差リブでルネサンス様式のレリーフが彫られた付け柱と支柱で支えられている。

ルネサンス様式は、聖具室に通じるドアにも見ることが出来る。

ファザードは、塔の間にあり、バロック様式のポーチがある。




歩道の各街頭についている盾形紋章、クリスチャンとモロの旗。 Iglesia Santa María

【Santiago教会】

1434年の聖堂が存在しているにもかかわらず、現在のSantiago 教会の姿は16世紀の間にD. Sancho García de Medinaの支援により決定づけられた。彼の甥である D. Pedro García de Medinaは、協定のサロンの2つの窓、洗礼盤、鉄柵の細工と聖具納室の作製を命じ、仕事は死まで続けられた。教会は歴史上の改築や変化に耐えているにもかかわらず、南フランス様式を基礎にした代表的な東部のゴチック様式を呈している。中心の大きな身廊、控え壁と自然光の入る場所との間の礼拝堂など。

聖堂の内部は、メインの身廊に並んだらせん状の柱が際立つ。それらの柱頭からは動物、植物や紋章をあしらった柱がそびえ、穹窿天井に埋め込まれている。これらの柱は、カタルーニャ式のゴチック様式でありLonjas de Valencia Mallorcaに良く似ていが、ここがもっとも素晴らしいといえる。

 

ルネサンス様式の最も重要な要素は香部屋、会議室へのドア、塔の2階の2つの窓、特に雪花石膏に彫刻の施された洗礼盤とスペイン・ルネサンス様式の彫刻の里程標である。これら全ての要素はこの時代のムルシアの彫刻建築の伝統に適応している。

 

1931年に文化財に認定された。


【NTRA.Sra. De las Virtudes聖堂】

15世紀の後半半ばにVillenaを襲ったペストの流行による住民の不安がこの聖堂Santuario de Nuestra Señora de las Virtudesの建設の由来である。

建築された最初の礼拝堂は15世紀後半半ばまでさかのぼる。この礼拝堂では、現在の付属礼拝堂の下にある地下礼拝堂にいくつかの遺跡を見ることが出来る。その後アグスティノス修道会の修道院を保護した。最初の建物を初めとして、最終的なイメージを形作ったさまざまな建設工程を追うことが出来る。全体的な外観は後期のゴチック様式に一致する。

聖堂への正面入り口は、ルネッサンス様式である。注脚の上に構成された柱間の半円アーチ辺りに植物や人間の形をモチーフにしたフリーズがあしらわれている。正面の最上部は、回廊の上の部屋に通じる空洞が開けられている。ファザードの端の2つの窓は、修道院の財団の所有である。回廊はとても簡素で、教会のエントランスに続く。覆われた歩廊の間にある、下がった半円アーチは煉瓦の柱を支持する。

長方形の階は、アーチに支えられた角柱により、3つの別れた身廊からなる。高祭壇に最も近いアーチはジグザクの奇妙な装飾が施されている。リブ・ボールドはコンソールにかかる肋材にからなっている。中心の身廊のコンソールは1581年と刻まれている。

17世紀の付属礼拝堂は、丸屋根と塀に囲まれた18世紀のバロックの絵画と漆喰で飾られている。そこには、ペンデンティブの上に聖母マリアと対神徳に関するその他の4名のエバンゲリストが表されている。その付属礼拝堂には聖堂のせん等にある聖具納室に続く。

 

1976年に文化財に認定された

MAYOR広場

スペイン中のPlaza Mayor と同じく、Mayor通りのそばにある。元来、1560年に広場の北の角に小麦取引所か小麦を備蓄する共同穀庫に充てるための建設が決定され、と同時に、Plaza de Sntiago"Casas del Tesoro"と呼ばれる会議が移転されるまで、市議会が開かれた開かれたスペースだった。

18世紀に市が広場の中心と南の角にあった建物を解体するために取得した。19世紀より、半円の池と噴水と、同様にさまざまな装飾の作品がおかれた。

Villenaの生活においてPlaza Mayor は、祭りやセレモニー参加のための公共の場として大変重要である。

LAS MALVAS広場

Correderaの西に位置し、角にある通りからのアクセスが可能である。

18世紀のバロック様式の建築物を維持し、ファザードの塗装は強烈な色彩である。

広場のもっとも重要な建物は、Mamilia Mergelinaの邸宅である。

長年の町の変化に耐えたにもかかわらず、この広場はまだバロックの趣を保っている。


SANTIAGO広場

Villenaの歴史的街のもっとも代表的な場所として建てられた。たくさんの重要な建物が集中しているSntiago教会の周りに設計された。
La Plaza de Santiago
は、現在のSanta María教会に位置したメスキータに集中していた古いアラブ街の対抗として、クリスチャンの町の中心として生まれ、教会の周りにまで拡大した。   

今現在 Santiago広場には、Casa de la Cultura、市庁舎、 Casa del Festero Santiago教会などが一体化し、周囲には多様な娯楽があり、文化、社会、市民、宗教の中心となっている。なかでも一番のみどころは、教会のゴチック様式からCasa de Culturaのポストモダンの建築物まで、建築の発展を見ることができることである。

Plaza Santiago HP写真の右側の建物。PALACIO MUNICIPAL
なかにJOSÉ MARÍA SOLAR考古学博物館がある。
Plaza Santiago(建物はInformacion turística)
HPに載せた写真の建物側から撮影。
上写真の左側の建物。CASA DE LA CULTURA










Informacíon の入り口に飾ってある柱。Igresia Santiagoにあるカタルーニャ・ゴチック様式の特徴的な丸天井の交差リブを支えるらせん状の柱。柱の上部には、動物、植物、紋章などが飾られている。

Plaza SantiagoでIglesia Santiago側から見た建物。各窓はきれいなステンドグラス。


José María Soler考古博物館

この博物館は D. José María Soler Garcíaによって10年間かけて集められた物が展示されている。
 

ここでは、歴史上各時代からなるこの地域の人間の偉大な軌跡を見ることが出きる。一番古い発見は、50,000年前にこの地域に人間が存在していたこを証明している。また、旧石器時代前後の物も見ることができる。青銅器時代の遺跡は大量にあり、Cabezo Redondoをはじめ20以上の村落から出土している。イベリア時代、ローマ文明やアラブ文明はの遺跡は、Puntal de Salinas(紀元4世紀前のイベリアの集落)と同じく重要な鉱脈において、またローマ時代の町、硬貨、陶器や柱の遺跡により象徴される。

博物館の1963121 D. José María Solerにより発見された 最大の宝石は Tesoro de Villena である。10キロの23.5金と70のパーツで出来ている。また、よく知られている紀元前1000年頃の発見とは比べ物にならないブレスレット、鉄の小瓶と2つの銀の瓶のセットもある。

1967年2月16日に修道会により認定された。


Casa de la Familia Selva Museo del Festero

この5階建ての建物は、古いブルゴス建築の素晴らしい一例である。

尊大なファザードは、Palacio Municipalに隣接し、入り口の場所も含めて完全に左右対称である。

最初の階にはバルコニーとイタリアルネサンス様式の柱廊がある。この宮殿はJunta Central de FiestasがCasa del Festeroに変えるために獲得した。
Tiene balcones de cuidada cerrajería en la planta primera y un cuerpo

美術館は、市のパトロンであったNuestra Señora de las Virtudesの名誉のもと、約2世紀前からのFiestas de Moros とCristianos(モーロ人とクリスチャンの祭り)を展示している。

ここでは、伝統の祭りに密接に関係した重要なコレクションが保存されている。例えば、衣装、ポスターやプログラム、昔の祭りの物など。また、音楽も重要で、一番ポピュラーな曲の楽譜も保存されている。資料館には、94日から9日までに開催される祭りの記録で構成されたビデオや写真がある

CHAPÍ劇場

Chapí 劇場はサルスエラの巨匠でり、第一人者であるRuoerti Chapíによる長きにわたる伝統演劇の成果である。

劇場建設の過程は、最初の石を配置した191497日より、落成の1925125日まで延長された。前述の期間の延長に反映するものは、訪れたものが感じることの出来る建築様式の多様性であろう。横の2つの正面と舞台のそでのあたりには、バレンシアの有名な建築家José María Manuel Cortina の手がけた最初のプロジェクトの趣をのこす。しかしながら、メインのファザードは同じくバレンシアのモデルニスモをすて、古典主義にもどった 建築家Garín Hermanos によって19221923年に建てられた。ファザードに飾り気の無い手すり子や付け柱などを並ぶ。

Villenaの料理

この地の料理は、基本的にラ・マンチャと地中海の料理の影響を受けた傑作である。

食肉、特に腸詰めは重要であり、レベルが高い。

一般的に、料理はVillenaの寒い冬と戦うためにカロリーは高めである。小麦粉、豚、野菜、インゲン豆、カブと芋を基礎にして、栄養があり洗練されている。特に、ラ・マンチャ式のにんにく油を使ったVillenaのガスパチョ、詰め物、米、脚、カタツムリとそら豆を使ったものはとてもポピュラーである。 またVillenaの菓子も多種多様で、私たちの食欲をみたしてくれる。

Cocido(煮込み)


お菓子

Arroz con conejo(米とウサギの煮込み料理)→